武道空手とはどういうものでしょう?
武道空手の性格を最も的確に表しているものとして、日本空手協会を創られた故中山正敏先生の言葉を以下に引用させていただきます:
” 空手道とは 勝敗を究極の目的とする武術ではなく、有形無形の試練を乗り越え、 錬磨の汗の中から人格完成を図ろうとするものである。 徒手空拳、手と脚を組織的に鍛練して、あたかも武器のような威力を発揮させ、 その一突一蹴、よく不時の敵を制する護身術である。 四肢五体を、前後・左右・上下に均等に動かし、なおかつ屈伸・跳躍平衡などの あらゆる動作に習熱する身体運動である。 意志力により、よく制御された技を使用し、的確に目標をとらえ、瞬時、最大の 衝撃力を爆発させて技を競いあう格技である。(目標を人体急所の寸前に仮定する)”
なぜ単に「空手」と言わず「武道空手」というのでしょうか?
武道空手ということばは、近年、スポーツの空手が広まったことから意識的に使われるようになったものだと思われます。そもそも空手の起源は沖縄(琉球王国)にあった「手(てぃー)」という武術が中国(唐)の武術と融合しながら発展した「唐手」にあります。それが大正11年(1922年)に船越義珍翁によって本土に紹介され、その後、剣道や柔道などの日本武道の精神性や禅仏教の哲学(空・無)が融合して成長したものが「空手道」という武道になったとされています。
では「スポーツ空手」とはなんでしょうか?
空手にはたくさんの流派があり、技や形にはそれぞれの特徴があります。そもそも沖縄にあった「唐手」には試合の概念は無く、技や型も「門外不出」の秘伝とされてきました。空手の試合(競技)が始まったのは近年のことで、世界の空手人口が増えたことから競技を統合するための世界組織(WKF:世界空手道連盟、日本の支部がJKF:全日本空手道連盟)が生まれ、それがオリンピック種目としての採用を目指したことで “誰にでもわかるルール” が整備されて行きました。帯やグローブも赤と青で色分けされ、組手の技も細かく分類されたポイント制になりました。これらのルールは柔道と同じように世界組織があるヨーロッパ(フランス)で決定されています。武道ではなく、あくまでもスポーツとして扱われているのです。
「スポーツ空手」と「武道空手」の違いは?
前述のようにスポーツ空手では分かりやすいルールが必要なので、ポイント制が導入され観客に見やすい赤と青の帯とグローブをつけています。また突きや蹴りの技にも “威力” よりも “スピード” が重視されるため、“極め” のない技が横行しています。一方、武道空手を標榜する日本空手協会では 「極めの無い技は空手とは言えない」という故中山首席師範の戒めを胸に、昭和32年の第一回全国空手道選手権大会より一貫して防具をつけない “素面・素手” の 「一本勝負」を続けています。それは空手の魂でもある「一撃必殺」の破壊力をもって技を目標寸前で “極める” (当てない)という究極の身体制御能力を追求しているからです。古来、武道家の試合は “命がけ” であり、そこに “真剣勝負” の重みがあるからです。この緊迫した試合経験を実生活にも活かすことが武道本来の目的だと考えます。「人生も真剣勝負、やり直しは無い」ということです。 その上で、空手道の普及を目指すという共通した目標のために、日本空手協会も全日本空手道連盟(JKF)にその協力団体として名を連ね、スポーツ空手の競技会にも選手を送り出しています(武道とスポーツの両方ができる選手として)。
日本空手協会とは
沖縄から本土に「唐手」を伝え、のちにそれを日本武道としての「空手道」とされた船越義珍翁を最高師範にお迎えして、昭和23年(1948年)に設立されたのが日本空手協会です。その初代・首席師範として組織の運営に当たられたのが、中山正敏先生でした。中山先生は船越先生が理論体系化した「近代空手」を更に発展させ、それまで空手にはなかった「試合」を日本で初めて競技化して行いました。昭和32年(1957年)には、その社会的な貢献が認められ、文部省より空手道で唯一の「社団法人」として認可を受けます。
世界に広がる空手家の輪(和)
日本空手協会が他の空手団体と決定的に違う点は、その指導員の育成方法にあります。多くの流派団体が世襲的な技術継承をしているのに対して、日本空手協会は船越・中山両師範が理論的に体系づけた近代空手を指導員の育成に活かし、数多くの優れた指導員を世に送り出していったことです。特に第二次世界大戦後にはたくさんの指導員を世界各国に派遣したことで、今では世界中に数千万人いるとも言われる空手愛好家を育てたことです。日本空手協会の英名:Japan Karate Association(通称:JKA)は、多くの国で武道空手の代名詞として親しまれており、3年ごとに船越義珍杯として世界空手道選手権大会が開かれています。
これからの武道空手
スポーツ・武道・格闘技、さまざまに変貌する空手界において、日本空手協会はあくまでも日本武道の伝統を守り、伝承し、さらに発展させていくことを目指しています。それが空手道(近代空手)を創られた船越義珍翁と初代首席師範・中山正敏先生のご意志に応える唯一の道だからです。以下に、空手道の行く末を最期まで憂慮されていた中山正敏先生のご遺稿を掲げておきます:
” 激しく揺れ動く空手道にあって、我々は伝統文化として空手道の原点に立ち戻り、再度冷静に観つめて、立派な近代武道空手を築き上げなければならない重大な責任を有する。 空手の原点とは、云うまでもなく船越老師が唱導されたように精神面では、謙譲の徳と和のこころ。これをかたちに表すためには礼節が必要、また「空手に先手なし」の訓えを忘れてはならない。実技面では威力ある極めを主体とした受け、突き、打ち、蹴りが大切で、動きがどんなに空手に似ていても極めのないものは空手とは云えない。 さらに基本と形と組手の一体化・一貫性が肝要である。
今後は、空手がより近代的競技の装いをまとおうとも、我々は武道空手道の原点を失ってまで近代化に走ろうとする気は微塵もない。空手道競技は剣道・柔道と同様に、平素の道場稽古のみでは、なんとなく物足らずまた理に走り易く、とかく自称天狗にもなり勝ちである。日頃顔合わせる機会の少ない、またいささか趣の異なる他流のより広い空手仲間との闘いの場に於いての心理的・実技的な体験を積み重ねて身につけ、これにより自分の空手道をより大きく広く深くすることに役立たせることに大きな意義がある。この意味において競技は長い空手道人生の一段階として体験することが大切である。 我々の追求する空手道とは、空の境地に立ち、不動の心をもって実践する徒手空拳の武術であり、人格形成への道である。“
(引用:大志塾ウェブサイト)